第250号




あらためて「えひめ丸」犠牲者のご冥福をお祈り申し上げます

 二月の事故以来、摂氏四度、六百bの暗黒の深海にいたと思うとき、心が痛みます。
「今まで八ヶ月、生徒たちを引率していたのですね。お疲れさま」と先生のご家族。息子が行方不明に死亡届を出し、お墓を作ってまだ死の受け入れるができないで毎日陰膳。私はマスコミのみながら胸に迫ります。あと一人が早く出てきてと願わずにはおれません。 広い太平洋と亀が海面に顔を出したとき木片に当たる譬えのような希有な出来事ではありましょう。が、いくつか回避するチャンスを見逃した潜水艦に腹立ちを覚えます。
 突然の出来事である証拠か。九人の行方不明中八人が船内で発見されたことが物語ります(十一月五日現在)六百bという深海から引き上げたのは歴史上こんな例はなく、米海軍も事後処置は誠心誠意と思います。
 願わくば九人の皆さん。諸佛諸尊のご加護のもと、極楽浄土に往生されんことを。
合掌

小松島高校甲子園初出場からDバックスのワールドシリーズ制覇(今年の野球事情)

 小松島高校甲子園初出場よりはじまった今年の野球シーズン。森影監督率いる小松島高校は初戦を勝って二回戦まで進む。小松島高校野球部、森影監督は那賀高校、富岡西高校をともにもう一歩で甲子園というところまで育ててた名指導者である。今後、氏が監督であるかぎり何回かチャンスはあるだろう。
 プロ野球は大きく変わった。日本シリーズの近鉄、ヤクルト両チームの選手より、マリナーズの選手の方をよく知っていた。「イチロー打った。セカンド、ショート間、取った一塁投球、イチロー早い。内野安打」というのがたまらない。昨年の佐々木はピッチャーそれもクローザーではいつでてくるか分からない。イチローの場合、一番ライトである。必ず見られる。試合が接戦になり佐々木がでてくるともう絶好調。インディアンズ戦で三塁手が後ろに守るとセフティバンド、前に来ると強打「こんな選手はそうざらにいない」と言わしめた。こういう派手なプレイに対しイチローはボールの下に行くのが早い。ファインプレイといってくれないような安定感がある守備を忘れてはならない。攻、走、守、全てに見せてくれた。 マリナーズの監督はイチローを一番にすえ、一番の興行成績を残した。イチロー効果でシアトルの街もにならず。大リーグが潤ったはずだ。オリックスはイチローを三七億円とかでマリナーズに売った。結果、オリックスは一年間の人件費がでてきたという。これも野球ビジネスである。大リーグのピチャーは思い思いに投げる、日本の選手とちょっと趣が違う。それでいて一五〇qは前後だ。打撃はワールドシリーズ四戦五戦のようにどこからでもホームラン。といってバンドもある。守備は日本とだいぶ格差があるのではないか。その上ずいぶん細かい。そんなわけで大リーグにのめり込んだ。
 一方、日本野球も久しぶりに近鉄ローズが王ダイエイ監督のホームラン記録に並んだ。その折、記録更新がかかったダイエイ戦、敬遠ばかりで終わってしまった。これでダイエイがいやになった。チームの親分が記録をもつ。正々堂々と何故投げないか。親分へのひいきの引き倒しではないか。来年は間違ってもダイエイを応援しない。向こうもジャイアンツのボンズ選手がやられた。アメリカも同じらしい。それでも七十三本の新記録を作った。日本のジャイアンツはあれだけ選手集めて優勝できないお粗末さは全て将による。これはDバックスが物語る。来年も日本から何人かメジャーに行くだろう。ヤクルトの石井投手はイチロー同様アメリカでオークションという。さすればヤクルトは資金に潤いがでて、優勝への報奨金をはずむ。選手は益々張り切って再度優勝となるか。何しろこのチーム内野にももう一人監督、古田がいるからすごい。
 さすがワールドシリーズだった。一点を取り合うかと思えば二桁得点、百六十q近くのピッチャー、どこからでもホームランが打てる打線。それでいて一点を確実にするヤンキース野球。見応えのある試合だった。ダイヤモンドバックスが制覇した直後、地図で緯度を確認した。ニューヨークは防寒具に近い服装なのにファニックスはTシャツだったからだ。結果、おおまかに青森と種子島の差だった。日本では雪の予報が出ている青森と三十度を超えかねない種子島。ひょとするとワールドシリーズ二チームのそれぞれの勝因は気温にあるのではないか。それも暖かいところを根城とするDバックス選手の体調が気温が低くければ動きが鈍く、暖かいファニックスではいつもの調子、ヤンキースはそれほど効果はない。チーム創設四年、ボブ・ブレンディ新人監督が百年の伝統を誇るヤンキースに勝ってのことである。

「モンテンルパに祈る」加賀尾秀忍師著作より ーその三ー

 十二月十六日、初めて処刑場へ見学。十三段の絞首台が黒々とたっているのを万感の思いをこめ眺めた。滑車にかけられたロープはもう腐っている。K、T、Nの墓にも参った。ただ、一二三とあるのみ墓標もない。横にたくさんの穴が掘ってある。草がその上をおおっている。もの言わぬこの丘に回向しながらそのロープが新しくかえられることのないよう祈る。
 十二月二十四日、所長のブエンさんに万一死刑の執行時は、まず私に知らせてくれるように。私は会って安心(あんじん)を話すつもりである。また、あらかじめ刑場までも導いていくことができるようたのんだ。
 戦犯のなかにはネルソン博士についてキリスト教の洗礼を受ける人も相当あった。私は教誨師としていかなる宗教に人も法話のときは一緒に聞いてもらうことにしている。なるべく一派に偏しない話題をもっていくよう心がけた。宗派より問題はこの同胞をどうする ゥということだ。新聞にキリスト教の人は減刑になると出ている。YMCAなどに聞くと以前からならともかく減刑のために入信しても真の入信ではないから助命されるとは限らないという。宗教も卑怯な態度は欲しいない。Mさんは「PW(戦争刑務所)のキリスト教信者がどうもそぐわない。キリスト教徒のみが善人で我々を悪魔のように心の底で思っているらしい。キリスト教以外の教えをうけるものは地獄へ行くというのだから一つの気持ちになれない。ところが師が来てからキリスト教徒に動揺がある」という。私は宗派を見ない。人間を見ている。日本人同胞を見ている。衆生あって宗教がある。人があってその道がある。宗派にとらわれて衆生を忘れ、教えによって人間を区別する執着はもっとも悪魔的煩悩と心得ている。次にY閣下が来て曰く二十五日のPW演芸会にキリスト教徒は芝居するから佛教徒でなにかやったらと相談してきた。「何をいうか。そんな小さい考えでこの中を区別しょうとするのか。我々は同じ死刑囚、一つになってやれないのか」と。
 新しい年ー一九五〇年、四九年は名のとおり重苦しい年だった。五〇年の始まりはきっといい運命の開ける年でありましょうと独房の人々に話した。
 死 Yの宣告をうけ確定した人の心の動きというものは誠に複雑、微妙なものだ。これ以上、人間の悲惨、悲哀はない。「悲哀こそがおそらく人間の抱きうる感情のなかで最高のものであるという感じがする」と告白した死刑囚があった。いつの死の隣に住んでいる人の寂しさを現している。独房に死と境して生きている人々はたとえ夜眠ったようでも決して本当に眠っていない。意識の奥に夜光る目が常に自分の命を夜も昼も守り通している。死を拒否しそれに抵抗するために不断に闘っているのだ。それと闘っている精神力は並大抵のものではない。安心して眠りうる境地に達するまで骨を鏤め、血を涸らす思いをして、なお成れりとは思わない。しかも、成れても成れなくても、この苦闘からのがれられないのが死刑囚の宿命である。何でもつかむものを、それがたとえ幻影であってもつかまずにはおれないのだ。これを人間の試練といえばこれほど無情、無惨な試練はありますまい。これを修行というのなら、これほど人間にとって激しい修行はありますまい。
 幸い私が来てから死刑の執行はなく「雲は晴れない」にしても眼前の危機はない。という空気であった。ある死刑囚は「もう二年も執行がないせいか独房の空気はとみに明るい。去年(昭和二四年)の初めの頃のようにこんやは誰が何時やられるのか。そればかり考えていたような息づまる死との対決の日々は今は独房のなかでは感じません。とはいえ、やはり死刑囚という観念は誰の頭からも去ったことはないのです。黒い影がどんなの朗らかそうにしていても我々のどこかにつきまとっているのをどうすることもできません」と内地へ向けて心境をしたためている。
余録
 加賀尾和尚の本の要約。これはたいへんな作業である和尚の他に類を見ない体験が書かれているものに手を加えようとする。これを越三昧といわずなんというかと思う。
暗い世相の昨今、一陣の清涼剤はイチローを初めとする今年の野球だった。