第249号




同時多発テロ

死者、行方不明者方々の衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。
九月十一日夜、「プロジェクトX・姫路城の修復」を見ていた。十時のニュース。貿易センタービルが燃えている。原因は飛行機の衝突とか、事故と思っていた。そうするうちもう飛行機がもう一つのビルを突きぬいた。瞬間テロと思った。それからビルの崩壊、国防総省へと枚挙にいとまない。 
 事件に、専門家がマスコミに登場して情報に不足はない。だが、多ければ多いほど基本的な疑問、諸問題がたくさん出る。それを列挙してみたい。
一、ブッシュ大統領曰く「これは単なるテロを越えた戦争だ」
 テロを犯罪とするか、戦争とするかの大きな意味を持つ、犯罪とすると犯人を逮捕、裁判と法の裁きによる。戦争なら撃滅か、降伏かが目的となる。戦争は「情勢の四分の三は霧に中(クラウゼウィッツの戦争論)」の情報見積で証拠はいらない。そして戦争となると殺戮を正当化する。戦争は指導者も末端の一兵卒も普段より人格が変わってしまう。ブッシュ発言はこの意味である。テロの瞬間こう判断した日本の政治家はいたのか。ブッシュ大統領は「絶対に許せない文明への破壊行為として、法による裁きをかける」と宣言し、友好国にもその証拠を見せている。これだと犯罪として法秩序の中で裁こうとしているようだ。
二、アメリカ人は
以外と弱いのでは。
 同時多発テロで五千人余りが犠牲になった。アメリカ史上には南北戦争以来ない。日本はどうか。日米戦争で半年間毎日々々絨毯爆撃がくりかえされ、最後に原爆でやられた。自然災害では何回かの台風、史上に残る大地震、近年では神戸阪神大震災の死者行方不明者はほぼ同じである。日本人はこの何回もの被災から立ち上がったのだ。そして、半世紀が過ぎた今、アメリカを恨みに思い、復習しようという国民はいない。忍耐強く寛容な我々を模範としてもらいたいものだ
三、「ついていけない」もの
 ブッシュ大統領の演説に「アメリカに味方するか、さもなくば、テロリストに味方するか。二つに一つだ」この論理は選別の論理というものではないか。旧約聖書の「ノアのは小舟」には箱船に乗るのは選ばれた民だった。それは善なるものである。「やったことに対し、必ずそれがなんなのか分かるときが来るだろう」紀元前一八世紀頃ハンブラビ法典にある「目には目を、歯には歯を」の報復論理、砂漠の民の掟である。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はこの伝統にある同根の宗教だ。九月十四日の祈りの日には先の宗教が祈っている映像が放映された。が、佛教はなかった。高野山真言宗北米教会、ハワイ教会では追悼法会を行っている。最初佛教がないのは寂しかった。よくよく考えてみると例えばダライ・ラマ猊下なら犠牲者追悼はされたであろう、私も行った。が、佛教徒には選別の論理と報復の論理はない。報復の祈りはしない。映し出された映像に佛教がなかったことをむしろ喜んだ。
四、砂漠の民の概観
 同根の宗教を概略すると砂漠地帯の神話ともいうべき旧約聖書の世界があった。そこにイエスが生誕してキリスト教が生まれた。さらに六六一年に預言者マホメットが生まれイスラム教がはじまる。キリスト教はローマ帝国とともに発展し、やがて中世には王様の権力よりローマ教会教皇の方が上回る。その間に十字軍遠征を行って、キリストの生誕地パレスチナを攻める。一方イスラム教はマホメットの死後正統カリフ国(マホメットも後継者が統治する国)として発展する。そのときカリフの命による「侵略ジハード」が行われ、今日を越える大イスラム圏をつくった。一九二四年トルコでカリフ制が廃止され、以来「侵略ジハード」は存在ない。イスラムは家族、隣人、国家と共同社会を大きくしていった。その中は多民族である。一つの規範が必要になる。マホメット生存の時代から規範を作り上げた。それがイスラム法である。旧約の世界が今にあるにがユダヤ教だ。ユダヤの民は紀元前に国を失い、世界に散らばっていた。第二次大戦後アメリカの援助でかっての数千年前の聖なる土地に国家を作った。これがイスラエルである。そのときここの住民は追い払われた。結果、パレスチナ難民となった。
五、イスラム教徒・アラブ人・イスラム原理主義・イスラム過激派
 イスラム教徒は世界に現在約十億人いる。神と信徒の間に僧侶のような仲介者はいない。故にきわめて大らかな教えだ。入信も簡単で、登録の要もない。「六信五行」(唯一神アラー、啓典、天使、預言者、復活、審判を信じ、信仰告白、祈拝、喜捨、断食、聖地巡りを行う)の基本を守る義務は定められているが、守り方、実践の仕方は各人任せ、勝手気ままという。アラブ人とは回教を信じアラビヤ語を話す、イランはイランアルメニア語故アラブ人ではない。さて人間は悪いこと、退廃したことへはすぐ傾いてしまう。そんな社会の乱れに対し、マホメットの時代に帰ってコーランに則った清らかな生活をと考える。それを非イスラムの連中はイスラム原理主義とよぶ。この中にマホメットの時代そのままに生きるというのと現代のなかでイスラム法に則った生活をという二つの方向がある。アフガンにあてるタリバンは前者と北部同盟司令官で殺されたマスード将軍後者になる。そのうちオサマ・ビンラディンの率いる過激派はオームのようにカルト教団と考えてよい。唯一神アラーを信じ他の偶像は信じない(これは旧約以来のこと)パーミヤンの佛教遺跡、佛さまの顔を切ったのは十五世紀の侵略ジハードのとき、そのとき佛教はインドで滅ぼされた。本誌掲載の完全破壊はタリバンの仕業。でも日本の神道一派による明治初年の廃仏毀釈はこれと変わらない。もとにもどし、多くのイスラム教徒は穏やかでまじめは人たちだ。イスラム教徒を全部同じに考えるのはよくない。
六、自爆テロの系譜
 自爆テロの系譜をたどると日本にかえる。はっきり死を命じたのはフィリピン戦線の特攻戦闘機だった。初めは良心の呵責に耐えながらだった。その後だんだん命令が当たり前になり、先述一の人格が変わる例である。現代、自爆テロはカミカゼという国際語になった。良い悪いは別に少なくとも日本軍は本人が了承した上の特攻で、敵国軍に突っ込んだ。この度の同時多発テロは全く違う。関係のない一般市民がテロリストの餌食となった。さきの四で述べた十字軍の遠征時もイスラム側は軍人以外に手をかけなかった。これがイスラムの伝統であるらしい。また、楽しい旅を与える飛行機もこのように使われると強烈な爆弾になることも新しい発見だった。
六、ジハード 
 ジハードには先述のように「侵略」と「防衛」の二つがある。前者は現在はない。後者はすべての成人イスラム教徒男子の義務である。「武装した異教徒」がイスラムの支配する土地に現れた場合、成人男子すべては侵略者を撃退すべく、生命、財産、言論をつかって抵抗しなければならない。本来イスラムの土地であったパレスチナに建国したイスラエルは間違いなく侵略者となる。反対するイスラム原理主義者はいない。これがパレスチナ問題の原点である。ソ連侵攻したアフガンの抵抗、サウジに駐留するアメリカ軍もこの対象となる。古典イスラム法学の説く防衛ジハード論の戦場は旧来イスラムの支配する地である。よって、アメリカ本土を戦場とする発想はない。ジハードの対象は「武装した異教
徒」である。最近まで一般民衆を巻き添えにはしなかった。
七、日本の高層建造物がテロにやられたら
 日本にも高層建築ができた。埋め立て地とはいえマンハッタン一帯は世界最も硬い部類の岩盤層である。もちろん地震はない。古くからエンパイアステートビルが建った所以である。日本の場合、地震王国。戦後、建築工学が発達してやっと高層ビルが可能になった。彼のビルに較べ鉄骨が格段多い。二百頓近い飛行機三百q以上で突き当たる力はものすごい。以前羽田空港に着陸を失敗のDC8が防潮堤に激突した。コンクリートは爆破のごとく破壊されたという。また今回衝突したと思われる鉄骨はそぐように切断されている。そこにジェット燃料、灯油とほぼ同じ、大量ドラム缶何十本を積んでいる。それによる火災によって鉄骨は軟化する。結局、日本の建造物ももたない。専門家は貿易センタービルで衝突階より上の人が助かっていることに注目する。それは階段を加圧して煙が来ないようになっているからだという。日本のビルでは極々わずかしかない。
八、国家
 国民の生命と財産を守るのが国家(政府)の役割である。フランスのシラク大統領、イギリスのブレア首相がすぐ現場に飛んでいったのも、イギリスの特殊部隊を派遣しようという意気込みも自国民が多数行方不明になっているからと察する。今度のテロでやられたのはアメリカではなく自国民だという考えだろう。フランス大統領は非常の大権をもち、イギリスも戦後でも多くの戦争をしている。日本はどうだろう。二十六人の日本人が今まで一度に殺されたことはない。なのにそれに対処する国会はは憲法から問題がある云々、こんなことをやっている国はない。湾岸戦争のとき日本人「日本人は子供も会わせ二百$負担した」アメリカ人「では今二百$あげるから、戦争してくれ」と日本人は次の言葉がでなかった。二十一世紀だ。憲法を改正する方向で検討しては如何だろう。そして、日本人の生命と財産を守ってくれることに信頼をもてる国にして欲しいものだ。
九、おわりに
 開戦前夜になった。日々の生活に困窮しているアフガン人をこれ以上生活苦に陥れることは避けねばなるまい。といって我々がどうすることもできない。ただ、無事を祈るのみ。この戦争以外と簡単に終わってしまうように思うのだが。

『モンテンルパに祈る』加賀尾秀忍師著作よりー二ー

 マニラの日本人に対する感情は当時ひどいものであった。一歩外にでると私たちを眺めるフィリピン人の目は増悪に光を放っているようだった。夜はピストルの音が市中しきりに響く、生活風習も違うOKとは承知したと解釈していたら、外交辞令責任はないらしい。
そんななか裁判が進んでいった。無罪になるのも、終身刑、有期刑さまざまだった。裁くもの、裁かれるもの、検事、弁護士が私情を離れ法の精神で裁きが行われ無罪判決があったときは快いものだった。逆に中村ケースというセブ島の北端、メデリンという小島でおこった事件は殺人、強姦、焼き討ちの典型的残虐行為である。あったことはまちがいない。十四人が絞首刑を宣告された。この中に現場にいない人が六人いた。H中尉は同姓の人と間違えられていると現地の人が証言しているのに、他の現地人に張本人といわれ、絞首刑の判決となった。Oの母が亡くなられた。死ぬまでOさんのことを言い続け「おまえの身代わりになってやる」といって亡くなられた。Oさんは自分は極刑の判決を受けたが、友人のNの生命を助けるためたいへんな苦労をした。自分が助かるため友を売るものもいるなか友情篤い人だった。加賀尾師はOを独房から呼んでもらい、母親の供養と激励をした。Kも他人の証言台に十何回たち、自分の刑をおそれないという人だった。終いに検事が感動して十七年の有期刑になった。Eは裁判でものごとをはっきり言いすぎ友人に迷惑をかけたといって師を訪問し「佛に懺悔をして、許された気持ちになりたい」という。師はいろいろな佛教説話を話して慰めた。侠客のEはさっぱりした男だった。欲情がおこると制することができない。その心をどうすればよいかと聞く。彼の一切の記録を見た。彼に「地獄へ行くと思うか、極楽へ行くと思うか」と尋ねた。「地獄へ行く」と答えた。「それなら救われる」。「子供のことを思うか」「子供への愛、佛心大慈悲よく分かるだろう」「分かる」「子供のために忍ぶこと、心を整えること」を教えた。そして、一切の人々が子供の見えてくるを祈る。といったぎりぎりの問答を続けた。師は「初めて衆生を見た。御佛さまがこの男を助けよと私をここへよこしてくださった」という気持ちで接していった。(第二回おわり、実名がでているところも仮名としました)