朝念暮念247号(平成13年8月18日)

「無名戦士の墓」と「靖国神社」


はじめに

 先般、ベトナムで日本の田中外相と中国唐家セン外相と会談した。そのとき中国外相は小泉首相の八月十五日の靖国神社参拝について「やめなさいとゲンメイしました」と日本語で記者団に語った。ゲンメイとは報道機関は「言明」とあてていた。しかし、この日本語の文脈からすると「厳命」であろう。一国の総理に対し、「やめなさい」だけでも失礼なのに厳命するとなると日本もなめられたものだ。日本は未だかって中国の朝貢国になったことはない。その点、隣国韓国とは違う。その独立国に日本語言ったのだから救いはない。今頃になって、政治家の有識者が問題にしはじめた。すると「私は日本語の専門家でない」と逃げる。外交官は譬え相手国の言葉ができても通訳を通すのが常識。都合の悪いとき通訳が間違ったことにできるからだ。日本をなめている証左であろう。一国の総理の行動を「しなさい」と命令形で言うのは言語道断である。これだけ憤りを感じていると前置きして「靖国神社」と「無名戦士の墓」の違いをのべよう。
一、無名戦士の墓
 アメリカのアーリントン墓地で外国元首が花束を捧げる。先般の田中外相もそうだった。このお墓が「無名戦士の墓」である。以前「高野山時報に」掲載された。アメリカ事情に詳しい相模工業大学、佐伯眞光教授(高野山真言宗の住職)論文の記憶である。その論文が今手元にないので記憶に頼るしかない点ご了承頂きたい。
 一つの戦争で名前も階級もわからない無名戦士(名前がわかれば無名戦士ではない)を選ぶ。戦線が多方面に分かれれば一方面から一体、別の方面から一体がどこかの接点で落ち合う。そのうち一体を選んで後の一体は海の上なら水葬される。陸なら別の方法をとる。そうして選ばれた。南北戦争で一体、第一次大戦では一体という風に一戦争に一体がアーリントンに葬られる。これが無名戦士の墓である。供養の仕方はキリスト教国アメリカ合衆国(大統領は聖書に手をおいて宣誓する)でははじまりがカトリックなら終わりはプロテスタント(或いは逆)で行うという。ハワイ州など佛教が加わるというように各州では地域性もある。もちろんアーリントン墓地はケネディ大統領をはじめ幾多の有名戦死の墓園である。それに対し、日本の靖国神社、千鳥が淵戦没者霊園、護国神社、村の忠魂碑はどれもみんな合祀形式(みんなともに祀られている)である。そこにキリスト教国と日本教(山本七平流に)国の違いを見ることできる。佐伯論文が手元にあれば詳しく説得力があると思うが残念だ。


二、佛教側の立場

 靖国問題を全日本佛教徒会議(全日佛)は反対という立場である。神道を養護し佛教を排除した明治政府。さらに昭和十二年にシナ事変がはじまり、戦死者が多くなった。そのとき国学院大学の某教授は「英霊の公葬は全て神式のせよ」と帝国議会に進言した。審議の結果「家族の気持ちを尊重せよ」ことにはなった。が、当時多家良村の慰霊祭の御世話をしていた父は「神道のみ」という通達が届いたと聞いている。当時の村長と夜中まで談判して、佛教と神道仲良く慰霊をおこなった。その夜父の様子を見ていた山田丑二さんは相当厳しかったのかくたくたで帰ったという。余談だが父は唯一の公職遺族後援会長を引き受けGHQの圧力下でも佛教と神道仲良く慰霊祭を執り行い、欠けたことはない。また、戦時中英霊に対し「院、居士」という戒名を贈って丁重に供養を続けてきた。それを戦争賛美とは言い過ぎだ。皇国史観のもと虎の威を借った神道とは少々違いがある。その反発が第一。佛教は世界宗教だ。同じ佛教徒に多大な迷惑をかけた贖罪が第二、ともにあまり高いレベルの議論ではない。第三に後述する日本の伝統的に反する。
 この建前とは別に森寛紹高野山元管長はご自分の子供達が靖国に祀られていると上京の度、最低毎年一回はお詣りされていた。これが日本人の心情であろう。

三、戦犯とは

 私と同じとき宗会議員をしていた島根県の金田栄禅僧正はシンガポールで終戦を向かえた。日本人が作ったチャンギーの刑務所の独房に入れられた。言葉が通じないなか「水がない」というと便所の水を指さす。文句を言うとぶん殴られる。朝何かの薬を飲めという、やがて死ぬのかなと思いながら殴られるのがいやさに飲んだ。それでも生活の知恵が働いて便所の水が一日三度だけ出ることを発見、先ず一杯目は身体を洗いながら、便器を洗い、次に口を洗い、後を一日飲んで最後に用を達す。という使い方ができるようになった。薬は毒ではないようだ。だんだん殴られることも少なり「日本人がしたとおりするのだな」と思うようになった。一年余りの独房生活の後、裁判になった。何回か繰り返すうちに「ショーハイ(少年)」二人が証人台に立っていた。その子達はいつか助けてやった子だった。彼らは「この人は悪い人ではない」と証言してくれて、やっと無罪となったという。後で知ったことだが、チャンギー監獄は水とその容器が不足していたなかの支給であり、薬は壊血病にならぬようビタミン剤だった。少年の証言がなければB、C級の戦犯になることは必至であったという。それでも師の左耳は聞こえない、殴られた結果である。映画「私は貝になりたい」では日本人も食べていないゴボウを捕虜に与えた結果、木の根を喰わせ捕虜を虐待したと死刑になる場面がある。金田師の逆だ。戦争勝利国が敗戦国を裁く軍事裁判では正確におこなわれるはずはない。師の証言によると寺内大将は終戦の詔勅を聞くと部下に相応の命令をした後、切腹したという。彼が生きていたらA級戦犯だろう。

四、戦犯死刑囚とともに


 「モンテンルパの夜は更けて」という歌、本があり、映画になった。フィリッピンのモンテンルパ刑務所が舞台。戦犯の死刑囚は夜、死刑が執行される。数人処刑されるときは夜がふける。朝が来て、やっと今日一日の命がある。その過程を毎夜々々、死刑執行台まで同行、処刑後死亡確認したのが加賀尾秀忍大僧正である。師は軍事裁判が終わり、ちょうど死刑執行がはじまったとき赴任した。死刑囚は師に全てを託して師と共に一歩々々歩み、師は死刑囚を看取った。当時のフィリッピン大統領と掛け合い「処刑するなら本国で」と、とうとう大部分の戦犯を連れ帰った。師はあまり語っていないが、死刑執行後丁重に引導を渡したはずである。引導作法とは先ずこの世の罪科を懺悔し、佛様の許しを得て佛様の子として得度する。しかる後、灌頂の儀式を行って佛様と同体とならせしむ。一切の世間の罪とは離れ、佛様になる儀式である。その時点において、死刑囚も普通の人間もかわりない。全ての世界宗教は世間の罪に対し、懺悔し、結果罪の許しと絶対者から慈愛を受ける。神道はそれぞれが神に昇っているのだろう。出世間の世界として宗教は存在する。こういったB、C級の戦犯死刑囚がしかりなら東京裁判の結果とてA級も同様だ。百歩譲っても世間では戦争責任を問われた。しかし、その償いは命を絶つことだった。死んだ後まで戦争責任を云々するのはおかしい。外国へもこの点きっちり説明する必要がある。しかし、唯物論で教育された今の中国の指導者達で理解できないのはなかろうか。
五、怨親平等
 靖国の祀られている英霊は戊辰戦争の官軍兵士から、西南戦争の大将西郷さん以下は祀られていない。こういう排他的なものは日本の伝統ではない。先述した日本的伝統とは例えばヤクザの出入りでも、殺した相手をうつぶせにし、顔を立てる心得があった。後日、遺体を見聞した大親分は作法にかなっているのを見て、後の終戦処理がうまくいったという。相手人格を認めを供養したのである。いわんや日本の武士道は必ず相手に合掌して立ち去ったという。この伝統の証が高野山にある。
 高野山奥の院へ一の橋から歩いて参拝すると中の橋にさしかかる。渡ってすぐ左手に「怨親平等の碑」がある。日本が「朝鮮征伐」或いは「文禄・慶長の役」とよび、攻め込まれた韓国は「壬辰倭乱」「壬辰・丁酉倭乱」とよぶ。秀吉の朝鮮出兵なのだが攻めた側と攻められた側では呼び方をはじめ印象は全く違う。戦争の原因はどうあれ敵味方ともに多くの犠牲者がでた。それを敵味方隔たりなく懇ろに供養した碑である。古老は日本が国際赤十字に加盟時、東洋のキリスト教を信じない野蛮国なんか加盟させられるかと言われたとき、この四百年前の碑を示し、加入が決まったと言う。これが高野山だけと思っていたら、鎌倉には北条時宗が蒙古と日本の戦没者を供養したと聞く、もう一つ古い話だ。古来から国際赤十字の理想のような敵味方平等という伝統があったことの証左である

 おわりに

 こうしてみるといろいろな奉祀の形があり、供養方法がある。それを議論するとき世間的にとらえすぎている。善し悪しは別にして「靖国で会おう」とは出世間の立場で戦前人の合い言葉であった。また、私の世代(小泉首相と同い年)の半数は父親が戦没者であった。身内に禅没者がいない私には語る資格がない。遺家族の子供達は子供の頃、靖国詣りをしていた。今では考えられないが、我々の修学旅行は必ず靖国詣りがあった。
 それが靖国と教科書問題は十年を待たずくりかえしている。そして、必ず何か物で解決してきた。今度こそこの二つの問題今後二度といわないようきっちりして欲しい。
蛇足ながら、解決方法を提案する。先ず、宗教法人靖国神社を解散させ、国立とする。
既成の宗教宗団はその一角を有料で借り受け、本殿は借り受けた集団の要望によって礼拝行事を行うことにすればよい。各宗団が出向くことで憲法違反にはなるまい。管理は国がでも、各宗団共同で管理委員会を作ってでもよい。

一冊の本『新しい歴史教科書』 九八〇円 扶桑社

 「国民に判断してもらいたいーーこれが話題の教科書だ!」と普通なら我々一般には手に入らない教科書を市販した。それがベストセラーになるというからいかに国民の関心が高いかわかる。
 概略してみると一、この教科書は中学生には難しすぎる。しかし、高度なレベルでの授業展開ができる前提なら授業に使いやすかろう。念のため中学の社会科の所定授業時間数ではたりないことは必至である。今問題の日韓併合のところは多分授業できない。二、今までの歴史教科書は唯物史観によって作られていたといっても過言でない。だから、日本人がアイデンテティをもつことは許さないという姿勢であったといっても過言でない。それを是正するため「新しい歴史教科書を作る会」を創り、この教科書が編纂されたその意味で方向はよく現れている。が、若干皇国史観の方向はないのか。三、韓国がいうこともわかるが、この教科書には韓国から学んだことが他の教科書より詳しい。

 余録

この度「靖国」と歴史教科書を一度のあげた。岩波の「日本史年表」を見てみるとまあ十年ぐらいでこの二つの問題が蒸し返されている。問題解決はたいていお金で片づけている。今度も中国はそのつもりであることが見え見えだ。日本のマスコミも悪い。二十年ほど前、四国放送の「おはよう徳島」におもしろがって出たところ私はその他大勢、メインゲストはなんと高校教師界では名代のN教師、授業はしないは左翼の名を借りて理屈をいう。要は月給泥棒だ。その先生には教科書選定委員も回ってこない(その力はあるまい)というしろものだった。終わって「久しぶり、あんたそこの授業をしたことあるの」というと「いややったことない」とそこだけ正直だった。歴史教科書の問題点は何か。「靖国」問題の一番大切なことは何かを勉強している記者は少ないようだ。石原東京都知事のように常に記者諸君を刺激して考えさせていなければならぬ。