第215号

年の終わりに

ブータン紀行3

 


年の終わりに



 今年は一年が最も早く過ぎ去った。「まんだら秘宝展」「ブータン王国訪問」というメインの行事のなか毎月々々 臨時に飛び込んできたものがいろいろ、昨年に比べ今年は雑事に追われた一年であった。
 とりわけ明治生まれの方々のご逝去が多かった。枚挙すればきりがないが、その中、杉本マツさんは熱心な信 者 さん。孫達に恵まれた彼女はそれぞれの孫を連れて、当山に泊まり込みで手伝ってくれた。彼女が草を引い てくれ ると後から生えないくらい几帳面にぬく。姉と私、私の子供たちと二代に亘って子守してもらった。息子、弘 乗が 小さいときしばらくの間、親以外誰にも抱かれなかった。ところが彼女が息子と初対面、しばらく私の膝の上 で居 たのだが、何もいわないのにいきなり彼女に抱きついた。子守の天才である。享年八十七歳。また、本誌に 紹介し た田村アヤ子さんは六月に想い出の三陸海岸を訪ねた後、十一月九日にご逝去された。 天候も今年を特色であった。春先の雹にはじまり夏、秋の長雨、十一月の乾燥と気候の変動が激しかった。まず 梅雨が早く、七月上旬には梅雨明け宣言、その後、雨・雨・雨。夏は猛暑。九月二十二日から十月十七日にかけ 当 山宝前橋下の池が満杯になること四回。ところが十一月の雨量は十ミリ未満の異変。 社会的には性懲りもなく汚職が発覚した。その中、今年の特徴は防衛庁が摘発されたことである。戦前から軍仕様というのは市場の商品の何倍もする。それを軍事機密でごまかしてきた。旧軍の産軍癒着が今まで通用してきた が、年貢の納め時ある。中島洋次郎代議士は今年捕まったが、祖父の時代はお構いなしであった。世紀末の今年に いたって戦後は終わったといえよう。
 この世はビッグバン時代に突入という。しかし、今日温故知新という言葉を忘れず古い物差しにあててみる必要 がある。ビッグバンにより銀行と証券会社が垣根がなくなる。それは金貸し(銀行)とばくち打ち(株屋=証券会 社)がいっしょになるとどうなるか。自由化とは自由競争化、強いものが弱いものを淘汰するということだ。なら今世紀初頭にかえる。こんなことでも歴史は繰り返すのか。


ブータン紀行  その三



 九月五日朝五時前に目が覚める。でも日本なら八時。テェンプーのメインストリートを散歩する。人口二万人の 首都である。峠から浴びる朝の陽光に照らされた町はすばらしい。三階建てのビルが一番大きい。皆んな民族建 築 である。先にも延べたようにこの国は民族衣装とこの建造物を建てることで国民の存在感を顕している。
 今日は古都プナカに行く予定だ。当山の道路ぐらいの道が国道である。コンピューターセンター、変電所の上を 通って、後述するシムトカ・ゾンが一番見えるところで止まる。ちょうど子供たちがスクールバスを待っている。理 科の教科書を見せてもらうと中学生ぐらい女の子が凹面鏡の勉強をしていた。日本も同じぐらいのものだろうか。 説明は全部英語である。学校教育は英語で行い。ゾンカ語教育は別に国語として行う。義務教育ではないが八十%は 就学している。 それからチューレ峠(ラ)へと登っていく、一つの村で休憩した。ここはチベット人の難民キャンプ(中国により チベ ットを追われた人々)ここの民はブータン国籍ではない。ダラムサーラのダライ・ラマの亡命政府から先生が 派遣 されてきてチベット人の教育が行われている。ブータンには数カ所こんな難民キャンプがあり、お寺もゲルグ派という。 峠に登ると天気が良くなった。アーサーガンをはじめヒマラヤの山々が遠望できる。標高四千五百M、高山病の症状がではじめたものがいる。早く降りよう。テェンプーからプナカまで七十五qほどだが、直線距離なら三十q もなかろう。が、下るにしたがってテェンプー付近の針葉樹林から照葉樹林に変わっていく、明るい太陽に照らさ れ た葉は輝いている。バナナ畑が見えてきた。米は二期作である。プナカ川をどんどん遡る。源流はさっきのヒマ ラ ヤ山脈のアーサーガン。洪水のごとき濁流が絶えることを知らない。ゴルフの達人細川団長に対岸まで飛ぶか と聞 くと無理との由。谷のように見えるが川幅百bに近いのではないか。プナカは町というにはお粗末な通りのみ、近 く新プナカへ移るという。大きい吊り橋を渡ってプナカ・ゾンへ、昔は王様もいっしょであったが、今は先述のジェイ・ケンポ大僧正以下坊さんのみ冬場ここですごす。普通は、吊り橋を渡ったところの門までしか外国人の入場は許されない。ガイドが 昨
夜のタッショ・ゾンでの話をすると内拝が許可された。男子のみのところ、秘技を行う場所と案内され、さらに 数年 前洪水で流されて、国家あげて修復中のお堂まで鍵を開けてくれた。まだ彩色されていない仏像が既に安置されてる。ここで彩色した方が良いのだろう。建造物も彩色されていない。素地は木々を相当吟味して作られている。 大工初め職人は全国から集められゾンの前の粗末な飯場で生活している。みんな敬虔な仏教徒である。完成したら どんなにすばらしい建造物になるのだろうか。