第214号

ブータン紀行2

グレンさんの偉業

余録

 


ブータン紀行 その2


 ネパールに到着。ここが外国であるぞと体得させられる。それは入国手続きが遅いこと、空港の外では子供のもの乞い等々、夜中というのすさまじい。
 四日、お昼にブータンへのフライト、チェックイン。だが、目的の飛行機はいない。しばし待合室で国際交流。一 時間あまり遅れてやっと目的の飛行機がやってきた。四発のずんぐりした小型機である。
十三時五十分やっと飛び立つ。カトマンズ盆地の家々の屋根には寝具を干している今日から乾期と実感する。左側の座席からヒマラヤが見えるというが、今日はまだ雲の中。
こんなところにも集落があるかと思う山の中を飛ぶこと約二時間、翼より周囲の山々が高くなったかと思うとパロ 空港。
どこまでも青い空、緑の山々にはタルチョ(五色にお経を書いた幟)がたなびく、すばらしい空気だ。細川団長は「来て良かった!」と早くも感激。
ここでも入国手続きは男は七分の丹前のようなゴ、女はロングスカートのキラという民族衣装である。だからよけいのろのろ見える。同行の逢坂師によると三年前の滑走路は砂利だったという。
 パロ空港を出発して一路首都テェンプーへ。右側の上にブータンで長年農業指導をされてダショーという貴族の称号を与えられ、天皇の即位式には国王の随員となった西岡京次氏を記念した農園とチョルテン(佛塔)が見える。川が二つ合流したところにネパール、チベット、ブータン三国のチョルテンがある。
 さて、ブータン王国とはヒマラヤの南斜面に櫛状の谷が南北に走る地形の国だ。東西には峠(ラ)と川(チュ)を 越えていく。平面的には熱帯だが麓と山岳地帯では熱帯から高山の氷雪気候まであり、熱帯のワニや虎から雪豹まで生息する。その上後述する仏教の不殺生戒のため動物の王国である。
 チベット仏教による治世の国はチベット、ラダック、シッキムとあったが今ではブータン王国だけになった。王様の歴史は浅く三代目、チベット仏教カギューに属するドウルック派の国、ドウルックは青龍の意。王様と最高位のジェイ・ケンポ大僧正は国王と同格。首都テェンプーに定まったのは最近の話で冬場はプナカに避寒していた(今でもジ ェ イ・ケンポ猊下以下僧分はプナカに降りる。それからテェンプーではゴの下はハイソックスからズボンをはくという)
僧侶は国家公務員(一部は私立寺院)人々は仏教の教えによって生活をしている。食事に肉類は食べるが全部インド から輸入である。  パロから約二時間余で首都テェンプーについた。タッショゾンに第二位の僧正がお待ちとの由。ゾ ンとはお寺と政庁が一緒になったもの。ラカンはお寺。逢坂師は前回は駐車場までしか入れなかった。今回 は表敬訪 問のため王様の政庁を越え、本山の部分へ進む。まず近衛兵に迎えられ、若い僧侶が案内してくれる。 暗い階段・廊 下を通って、謁見室へ。
いきなり第二位の僧正が私の首にカタ(白絹・ハワイでいえばレイに当たるもの)をかけてくれた。佛様にかける 豪華なもので私の首から足下まである。
名誉団長の私は用意した挨拶をし、高野山の管長猊下の親書と色紙を細川団長からはおみやげを差し上げる。インド式のお茶(チャイ)をいただき、和やかに歓談のあと、記念撮影をして表敬訪問を終わる。第二位の僧正は親しみを込めあたたかく慈悲あふれる方であった。その上明日のパーティにご臨席いただけることになった。


グレンさんの偉業



 三十数年昔のグレン中佐は東のガガーリンに対し、西の英雄だった。
宇宙にグレン蛍がでた。後日それは排尿の跡であったことが判明した。その頃はこんなことでも宇宙のことが何もわからなかった。今年七十七歳のご老体で宇宙に行くのより、まだ一人しか経験のない宇宙に行く方が危険を感じたに 違いない。このときは無重力で目が見えるか、ものが食べられるか、眠れるか等々人間の基礎的なものの人体実験で あった。今回は向井主治医がついて安心できただろうが、彼女をドラキュラと呼ぶほど採血を繰り返し無重力から重力を加えるとどうなるか老化の基礎実験を行った。この人体実験は我々に還元される。 若者は宇宙に目が向いている。今年徳島から私が入学面接委員をする米国のスオミ大学に進学した岩佐賢治君はスオ ミ大学の教養課程を終えるとアリゾナ大学にトランスファー(乗り換え・アメリカの大学は同一学校で四年間過ごす のはまずいない)しようとしている。そこは宇宙工学が充実しているからだ。さらにNASAで宇宙の仕事をしたいという好青年である。しかもどういう課程を歩めばその道に進めるか充分研究しているところがにくいではないか。 私も宇宙は四十代までのものとあきらめていたが、まだ二十年あるのであるいは可能かもという夢がでてきた。老齢の方々に宇宙にはじまって諸々の夢が可能なことを知らしめたのではあるまいか。昔から五十,六十はな垂れ小僧 という天命を知る歳になって大いなる夢をもつことが大切ではないか。


余録

 九月二十二日の九号台風から、十月十八日未明の十号台風までに当山宝前橋下の池が満数になること四度。十号台 風では方丈の屋根が飛んでしまった、第二室戸台風以来のことである。翌日それを聞きつけたAさんより修理費にと 多大な御寄進をいただいた。公表厳禁というお話ではあったが、困ったとき、手をさしのべていただいた御厚意を感 謝の意を表さずにはおれない。誌上、心よりお礼を申し上げます。