第213号

ブータン紀行

五十歳の修学旅行

余録

 


ブータン紀行

 ブータン行は、当山がかねて計画していたものと徳島大学工学部にブータン王国から留学していたタシ・ツエリ ン君を訪問しようという徳島市国際交流協会(TIA)とが合流したものであった。

 ブータン王国へはネパール王国から入国する他いくつかある。この度は関西空港からはロイヤルネパール航空で ネパール王国の首都カトマンズへ、さらにドウルックエアーでブータンへという最短コースで行った。九月十三日 朝、
徳島を出た一団は関空にて結団式をすまし午後一時七分ほぼ定刻に離陸する。

 昼食の後、ウトウトとすると揚子江の氾濫のためか、海の色が泥濁色に変わり上海着。BS観光の大嶋氏より 「上海では飛行機から出られるか不明」といわれたいたが、降りて休憩ができる。今度の旅はツキが感じられる。

 一時間あまりの休憩の後、カトマンズへ向かう。揚子江、太湖が眼下に見え始める。長江が左下に遠くなった り近くなったりしながら進む、遥か南方に見にポーヤン湖が見える。長江の真上になった。この付近から水が多 い、水没
した村落、田畑が河畔あちこちにみられる。橋が架かっている。武漢市だ。案外小さい。地図のとお り武漢上流が大きく蛇行している。中之島だったらしい田畑と町の跡が水中に見える。ここから遥かかなたに見え る洞庭湖までの
相当な面積が水没しいる、徳島県より広かろう、聞きしに勝る長江の氾濫だ。

 それから長江を離れ山岳部を飛ぶ。一時間ほど経っただろうか今まで山ばかりで人間が住んでいるように見えな かったところに道路が見えだした。機中アナウンスで雲南省に昆明上空だという。ずっと続いている道路はベトナ ムと
の戦争にそなえつけてものか。川の流れが反対の西向かった。マレー半島からチベットまで続く横断山脈を横 切ったのだ。ビルマ上空は雲々々何にも見えない。この下で徳島の兵隊さんがたくさん戦死されたのだろう。な にはとも
あれ光明真言を心中で誦え回向。

 雲が切れた。ベンガルの海。だがまてよ。ベンガル湾まで南下するのか?だんだん晴れてくる。海と思ったの は河、ブラマプトラ川からガンジスへ。飛行機の高度差もあるだろうが、さっきの長江の数倍の川幅だ。長江は 川が氾濫
していた。が、ガンジスは氾濫の中にに集落が転々とある。道路は川まで続いて突然なくなっている。 長江になかったものだが、氾濫によって盆地状のところが湖になっている。そこに流れ込むもの、流れ出すもの 入り乱れて交差し
合っている。バングラデッシュからインドと国境はかわっても大自然は同じだ。川というより大 海原というのが適当だ。遥か地平線の彼方まで続く。この頃、西に向かった長い一日は終わろうとしていた。

西の空に真っ赤の日本で見る二倍もありそうな太陽が沈む。地上の人々には悪いが、この大海原に展開される夕 暮れはすばらしい。西の空が一面が真っ赤、雲の動きによって黄色になる。突然碧色になった。太陽が、我が 胸に飛
び込んでまた向こうに移る。大海に写る太陽と二つになる。再び、碧色から青そして橙赤、一つになって やがて太陽は見えなくなった。が、まだまだ橙色から深紅と変化していく。しばらく西方浄土の阿弥陀様の世界 に身をゆだねて
いた。

 ふと我に返る。テーブル状の台地から濁流を落とすカトマンズ盆地が見えてきた。今日の九時間のフライトは 終った。


五十歳の修学旅行

 九月二十七日の日曜日、脇町高校、昭和四十一年度卒業の有志が来山した。五十歳を記念して九月に初旬に修 学旅行に行った。私も誘われたがブータン行きで断念した。有志がまん中に写真が入った色紙の寄せ書きを持って
きてくれた。二年生のクラスがこんな同窓会をするのが珍しいのに、担任でもない私がいつも招かれるのもありが たい話である。

 このクラスは脇高二年生の時の最も悪いと自他共に認めるクラスなのである。自はともかく他はもう忘れていよ うが。要は一時期、心理学の教科書どおり一荒れしたものだった。

 五十歳といえば社会的にいろいろな部署と地位にいる。友の出世でヒビが入るのもこの頃だ。だが、その連帯 が今でもかわらない。扇の要にその中に世話好きの二組のカップルがいる。そこから枝をひき女性、男性の幹事 役が生
まれお世話する人間関係が自然にできあがっていることによると見受ける。

 なにはともあれ、そのメンバーが生涯の友としてつきあっているのはすばらしいことではないか。一番悪いクラ スは五十歳が来て、一番すばらしいクラスに発展した。私も時々このメンバーが遠路もいとわず来山してくれるの は至上
の喜びである。 


為報恩謝徳 一金十万円  阿南市長生町 中村恒彦 一子 真央


余録

 今月二日、金沢市の見知らぬ方から手紙が来た。開けると先のブータンで一人旅をしていた小谷一彦さんから だった。我々にいっしょに本来は入れぬところに入れたことのお礼が中心であった。
 わざわざ当山を人名簿で捜してくれたという。今時珍しい話に感激した。
 私はある奨学財団でバングラデシュの留学生、ベコム・シャナジーさんのカウンセラーをしている。彼女のお 国は先述のごとく大水に何か救援の方法を探る昨今である。