第206

オリンピック特集 パラリンピック



オリンピック特集



 開会式のフィナーレ、長野にそして五つの大陸にこだました「歓喜の歌」。今までの人類が考えもつかなかった、たとえ考えても技術的に不可能であった大合唱にはじまった長野オリンピック。私は何度このシーンを見ただろうか。その上、滑降、距離、ジャンプ会場白馬村は昔のホームグラウンド。
 金メダルをとると宣言して、本当に取った清水選手、今までの日本選手はそれができなかったというが、日本が第二次大戦後はじめて参加したヘルシンキ大会の唯一人の金メダリスト、レスリングの石井選手が決勝直前にラジオに出演し「金メダルをとってきます」といった。その時代のマスコミ陣は今ほどうるさくなかったからかえって自分の心を奮い立たせたのに有用あったのであろう。
 マスコミ対策が今の運動選手に欠かせない。
一番興味を持って見ていたのは日本のジャンプ陣の広報部長、原田雅彦選手であった。はじめの頃の原田はマスコミ嫌いであったという。しかし今ではかの原田節である。リレハンメルのジャンプ団体で失速して以来彼ほど苦労した選手はあるまい。リレハンメル時代の日本ジャンプ陣はV字型ジャンプをいち早くマスターし、その先端に原田はいた。ところがその直後に舟木という若手のジャンパーがV字型に理想的なフォームをもって出た、今回ラージヒルの金メダリストである。原田は一時期、舟木のフォームに変えようとして、とうとう日本代表からはずされたときもあった。もう一度開き直って原田のフォームに返った。一流選手が二度もフォームを変えるということは至難のことなのである。原田フォームは高く飛ぶことにある、結果は舟木と同じところに降りる。とはいうがその分だけ風に左右されやすい。
 日本のジャンプ陣は強い。強いところにはマスコミがやってくる。まして今シーズンは長野オリンピックである。スポーツ記者の取材だけではない。ジャンプのルールも知らない芸能記者も混じるから大変だ。原田は日本チームを代表して記者たちの喜ぶようなコメントを用意し見事にさばいた。それには絶対に人の悪口を言わない。他事のせいにしない。必ず明るい着地点を持つ等々、一見面白がってしゃべっているようでも、実に内容が深い。それが自らの金メダルで歓喜にせまって、泣きながらというときも同じである。こういう人物を得た日本ジャンプ陣は幸せである。それでチームメイトは試合に集中できる。
彼がジャンプ団体で金メタルを手中にしたとき、見逃せない光景があった。それはドイツチームが駆けよって祝福したことである。このことは四年前本誌に書いたが、リレハンメル、ジャンプ団体で原田が失速したとき、後の新聞報道によるとスタート時に「金メダルジャンプ」とかの声をかけた選手がいた。ルールによればスタート時に声をかけるのは違反、抗議すればもう一回ジャンプできた。 しかし、原田の口からは未だにそれは出てこない。当時それを言いだしたのは横にいた時の金メダルチーム、ドイツであった。今回のジャンプ団体で全く前が見えないような吹雪、個人なら棄権する状況のなかでの不本意なジャンプ「屋根付きのジャンプ台でないからね」といってはばからない原田。悪気なく声をかけた仲間のせいにはしない。四年間あきらめずに精進に励んだ原田は今世紀の最強の金メダリストといえよう。



ラリンピック



もう一つのオリンピックの意味である。オリンピックが人間の持つ可能性を追求するのに対し、この大会は障害をどこまで克服できるかの可能性を追求する大会である。この大会で金メダルをとることはオリンピックの金にもまして大変なことではなかろうかと思う。また、クーベルタンの「参加することに意義がある」という言葉をかみしめるならばオリンピック本来の趣旨がここにある。「メダルなどどうでも良い、よく日本に来てくれた」という感情が先立つのは私だけであろうか。
 東京オリンピックの後で行われた大会は今のように盛大なものではなかった。私は入場行進曲が「鉄腕アトム」であったことしか記憶にない。アトムの機能が出場者それぞれにつけられたらなあと思ったので覚えている。札幌大会はなかったから日本では二回目。
 開会式はオリンピックとは異い、こじんまりしながら、深みがあり、細かいところまでそれぞれの配慮がなされ、それでいて華麗にして、かつ力強さをもつ、参加者は一生の想い出として、観衆の我々にもオリンピックと異なるすばらしさをもって、人々に感動を与えるものであった。
 競技初日アルペン女子滑降チェアスキーで大日方邦子選手がバイアスロンで小林深雪選手が金メダル、野沢英二選手が銀をとった。滑降のデータを見ると全長一四八七M、標高差四三九M、だから平均斜度が三十度近い。ちょうど我が家から麓まで最短コースを駆け下りるようなものだ。それを大日方選手は一分十八秒00で滑っている。平均時速六八キロ余りである。私の現役時代でら二分余りかかったと思うとき、このレースがものすごさが分かる。滑降だけでも九つに分かれ、それぞれにメダルがある。視力障害の小林選手には健常者の伴走者がつく、二人三脚でというわけだ。両者にメダルとなる。だからかどうかは分からぬが、パラリンピックのメダルはオリンピックのものより質が悪いような気がする。こんなところでケチるなと思う反面、できるだけ多くの選手へという配慮も良い。
 我が家の会話。開会式テレビ中継にアグネスチャンがいた。「何でアグネスが出てる」「ほら言語障害じゃ」これは障害者への差別言葉とは違う。なぜなら、アグネスは日本に来て何年になるだろうか、充分日本語が学べる時間はあったはずだ。「努力すれば得られる」ことを非難しても差別とはいわない。カナダに留学したとか、英語もあんな唐人英語だろうか。あんな日本語を使っているから、同い年の林真理子にコテンパーにやられるにだ。私は彼女がわざとに使っているとしか思えない。旦那が日本人で子供はどこの国籍か知らぬが子育てをしてものがあんなはずはない。それでも日本語を、日本人を軽く見ているなら人種差別ではないのか。差別とは「自分以外要素でそうなっっていること」を非難することをいう。この原則を踏まえて、パラリンピックを機会に障害者への思いやりの心を高めよう。