第204

平成十年に 衆愚政治 余録





平成十年に



 
アメリカ留学中であった弘乗に「昭和から平成になった」と電話をしてからはや十年。その間、かわったこともずいぶん多い。例えば先の国際電話、十年前の我が家ではKDDを一度呼びだし、いったん置いてダイアルしなければならなかったが、今では国内とぜんぜん変わらない。その上、通話料金も格段に安くなった。昨年の百味供養会にも外国人が来る。こんな日本の端しっこの話でも国際化が顕著になった。だが、観音様に必死になってを拝む善男善女の姿はかわりない。こちらも相変わらずお線香、おみくじは昭和二十年末から十円也。お寺ぐらい時代に流されないようにと粋がっている。
 今年はいろいろの行事がめじろ押しである。まず、平成元年十二月の開創法会を行った新四国曼荼羅霊場が十周年を迎え、『十周年記念大祭』を行う。
 その第一番は六月三日から七日まで「徳島そごう」で『まんだら霊場の秘宝展』が行われる。ちょうど徳島部会が担当の年にあたっていて、小生はこの展覧会の総括責任者に推されてしまった。よって、年末から準備がはじまっている。なかには本邦初公開というもののほか、グレードの高い秘宝が勢揃いする。一方、新四国曼荼羅霊場お砂踏みも行われ、今年最大のイベントになる。乞うご期待。 第二は九月二十三日(彼岸の中日)に神戸、須磨寺において神戸・淡路大震災物故者追悼法会を行う。新四国曼荼羅霊場会では震災直後托鉢して義捐金を贈り、各大祭では犠牲者の追悼をしているが、明石大橋が完成し、神戸と徳島が一体となる年が十周年とが重なった。新四国曼荼羅霊場会は現地で心から供養をしてさしあげたい。
 第三に一番東林院において記念大祭を執り行う。これら三つを『十周年記念』とする。
九月九日より十六日まで、徳島市国際交流協会と当山共催ででブータン王国親善訪問を行う。ブータン王国はヒマラヤの麓のちっちゃな王国、現代の経済指標でいうなら世界の最貧国になるが、皆んな心身ともに豊かでちっとも貧しくはない。観光客を人数制限してやたらに文明国化するのを防いでいる。チベット仏教を信じ、我々が忘れてしまったものがあるという。徳島市国際交流協会会長の細川浩一さんは当山月参り五十年の細川頼春さんのご長男、私とは彼が子供の時からの友人である。彼が団長で私が名誉団長として訪問する。参加したいという方は早いうちに当山までお問い合わせ下さい。
これが今年の計画である。とりわけ「徳島そごう」の『まんだら霊場の秘宝展』には大勢のお詣りをお待ちします。

 


衆愚政治


日本国憲法で国民投票が規定されているのは憲法改正のときだけである。だが、昨年多くの住民投票が行われた。法律に規定されていない以上住民投票は投票結果を守る必要はない。昨年末行われた。沖縄の海上へリポート建設の有無では比嘉鉄也・名護市長は投票結果によらず海上基地受け入れを表明した。反対が過半数になったのをどうとるか私はここで問題としない。が、参考のために私の考えを述べておくと名護市民の大半は島の西側つまり名護市街に住んでいる。が、今度のへり基地は島の中央の山を一つ隔てた、反対側の辺野古岬地区である。ちょうど我々の徳島市多家良町の人口ぐらい。小さくすれば多家良村の問題に全徳島市民の投票があるとすれば大変問題だ。日本国或いは県全体の規模の住民投票投票でもない。よって適切かどうかを考えさせられる。実はそれを一番よく知っているのが比嘉市長であろう。
 現代日本の住民投票というのは反対が多くなって、首長と対立したとき住民投票条例が作られるようだ。その条例ができたとき結果は概ね推察できる。次ぎに法律にない制度を条例等で行うのだから、公職選挙法のように確立した法体系ことに罰則規定があるとは言い難い。それでも民意というのだろうか。
 選良の政治家は任期中の政治活動について選挙民から委任されている。だから具体的な事柄を決め、実行できるのである。特に首長は重い。その自覚が政治家にあるのか。その本来の責任・義務を放棄して住民投票にかけるということではないか。
哲人プラトンは政治家の理想像を哲人政治に求めた。理想は実現できなくともそれに近づくよう努力しなければならぬ。別にルネサンスの思想家マキャベルリーは「愛される王より怖がられる王がよい」とした。なぜならば「愛される王」はそれがゆえに政治が安定しないからである。マキャベルリーはよく「目的のためには手段を選ばず」という風に誤解されているが、その前に「政治安定のためには」という言葉がつくのである。いま一番望まれるのはこういったリーダーシップのある政治家だ。
 話を比嘉鉄也・名護市長にもどそう「住民の意思を無視した」という批判が生まれてこよう。私は市長が沖縄県を思って大所高所から判断した結果だと思う。そこで終わりなら或いは独裁というかも知れない。が、彼は自らの政治生命を断って、辞任するという(現在は辞任だが再出馬もあるかも知れない)次ぎにはっきりした公約をうちだしてもの市長選挙が行われる。そのとき、はじめて公職選挙法というルールに則った形での住民投票が行われる。市長は自分の行動を示し、住民投票というルールなき投票を批判したと思えてならない。さてさて、太田知事さんはどう出るのでありましょうか。




余録

 立ち上がった義経像がなぜトンネルを通れるかについて多くの質問があった。  答えは、馬をはじめ四つ足動物が立ち上がった姿を思い浮かべて欲しい。犬でいえばチンチンである。そのとき、前足を折り曲げている。上に乗る人間はどうか立ち上がった馬にそのまま乗れないから鐙に足をかけ地面に対し直角を保つ、まさに馬の首にしがみつかんとする状態である。前足はチンチンで折り曲げ、人間は馬の首により近くなる。  そんな騎馬像を立たせたまま輸送するバカはいない。輸送はトラックの上で横に立たせばいいのである。よって、四つ足で歩く馬にまっすぐ乗る義経像より長くはなっても、より全体としてはコンパクトになってしまう。旗山に着いたら立たせばいい。それをとっさに考えたのが尾崎俊二翁でしたが、賢明なる皆さんはご理解頂けたでしょう。