第197号

 


古い人形の行方

 五月晴れの日、山麓の谷間に鯉のぼりが横切る。口の悪い御仁はメザシゴイと。男の子ができたと意気込んで立てた鯉のぼりも子供が大きくなるにつれてかかる運命に至る。この風景が全国津々浦々見られるようになった。女の子はどうか。山を越えた勝浦町では全国の古いお雛様を集めるイベントが定着したようだ。だが、鯉のぼり、お雛様のさらなる行く末は思いたくない。当山でもお雛様の供養撥遣を依頼される。一座の供養法をして焚やすわけそれは私がきっちり撥遣(魂を還ってもらって)しているのだから世間の人のような気持ちはない。が、あまりいい気持ちはしない。まだまだ新しい人形達だ。まだ数回しかこの世を見ていない。なのに処分せよという。「もったいない」の一語に尽きる。
 等々と議論しあう我が家、子供たちが面白いことをいいだした。先ず、鯉のぼりやお雛様を外国人は特に好むと前提があって「当山では供養・撥遣します。しかる後、外国の子供たちに贈ってはどうか」「いいなあ、でも送料が大変だろう」「それは供養してもらう人にご負担願おう」「では相手は?」「とりあえず私(娘)のル−ムメイトのダッフィニ−(正月号で紹介したシカゴの小学校の先生)贈る。そこからはじめたら、後は我が広がると思う」「そうすればあんな新しいのを焚くことないなあ」云々。数日後新四国曼荼羅霊場会徳島支部総会でこの話をする。神社は特に多いという。みんな共通項は「もったいない」である。ある意味の資源保護が国際親善に役立つのなら、問題霊場会あげて取り組もうというにいたった。『青い目に人形』運動もこんなことからはじまったのかも知れない。
 趣旨の賛同され、かつ、お人形の在庫で困っておられる方は、当山へお問い合わせ下さい。供養撥遣の後、実行します。くれぐれも送料の実費はご負担願います。


副住職結婚

 当山、副住職の弘乗が五月三十一日、本尊ざまの御宝前で文美さんと結婚式を挙げました。 文美さんは和歌山県日高郡由良町の出身副住職と一緒にお寺をまもってくれます。今後ともよろしくお願いします。


何でもありのチベット行(1)


 先般NHKBS放送で「天の国チベット」というのがあった。冒頭シガチェのタシルンポ寺がでる。そこで学問する僧侶の姿がある。もちろん寺院は信仰、文化と学問の中心である。が、学問中心の寺ではない。また、子供のパンチェンラマの写真は他の寺では見られない。この町で土産物屋をひやかしていると若いお巡りがきたのも事実だ。私のチベットは心情的にチベット人依り、NHKは中国の放送会社との合作となっているから温度差は当然のことである。これからかかる番組を見るとき考えることとしたい。
シガチェからの帰路は降り坂のためスピ−ドも早い。峠の茶屋で昼弁当、地元の子供たちと一緒に楽しいひとときを過ごす。山が晴れて雪山が現れる。小松島から当山を見る仰角なら、今の位置が四千Mであるからその山は五千Mである、雪山もおかしくない。
早くラサにかえったので、蔵病院を見学する。字のごとくチベット医学(蔵医学)による病院だ。それは漢方とインドのア−ユルベ−ダをもととしたチベット仏教による医学である。ラサ市内の中心パルコルに近いところに四階建ての近代的病院がある。三階に薬師如来と蔵医学の祖師像が祀られているお寺のような部屋に案内され、そこで厳かに医師が説明してくれる。曰く、蔵医学は今テレビアンテナが立つ薬師山の薬師如来を中心としていたが、中国が侵入してきてお堂を壊してしまった。蔵医学は人間のバランスの上に立って総合的に病気を治すのだ。今世界各国から蔵医学を学びにきている、日本人は今はいない云々と説明してくれた。隣の部屋では人体解剖図、気道、脈管、血管等々こと細かく書かれたタンカ(画軸)が所狭しと飾られている。それを先の医者がまた細かく説明してくれる。その集大成でチベット語と中国語で書かれた医学書が邦貨で三千円。松長先生が購入されたものの小生買っても読めないと断念。タンカを写真に撮ってきた。
人体を総合的にという蔵医学だが河口慧海師によるとボロクソ、彼自身医者としてダライ・ラマ十三世にも謁見した。特に接骨部門がなく、骨折するとそのままほっておくという。慧海師は日本的漢方即ち西洋医学に近い即効性のある薬の処方をしてうけたようだ。が、蔵医学はもう少しゆっくりした全身的回復をいうのかも知れない。また、チベット仏教との深い関係があるのかも知れない。蔵医学の他インド、中国は伝統的医学を併用している。日本の医者がこの研究をするのは無意味なのだろうか。松長先生はしばらく資料として置くと読む学生がでてくるだろうと。