第194号

 


今春の甲子園

みなさんは、今年の高校選抜野球大会は、少し変わることはご存じだろうか。今まで、「ワンストライク、ツーボール」と数えていたのが「ツーボール、ワンストライク」と変わるのである。見る者にとっては多少の違和感があることだろう。しかし、実際には、国際的には「ツーボール、ワンストライク」という告げ方をしているという。アトランタ五輪でもそうやっていたのかと思うと私の不注意を恥じる次第。なぜ日本だけが逆の告げ方になったのか。脇町高校には、元脇町中学の中馬校長が一高の学生時代に、ベースボールを野球と訳されたという碑が建っている。だが、この記録はない。もっとも正岡子規をはじめ、他にも訳したという御仁がいる。だが告げ方の記録は、子規の書物をはじめとしてないらしい。二月七日の朝日新聞「天声人語」に鎌倉市の鈴木宙明さんが、直感的に考えた新説というのが紹介されている。要旨は、七五調好きの日本人が七五調に変えたというものである。鈴木さんは、「ワンストライク、ツーボール」はりっぱな七五調だ。特に日本語英語でいうと完全になじむ。逆のボールが先にするといかにも収まりが悪い。たぶん新しい方式は歓迎されないだろう。日本語化のためには七五調に変身させられ「ボールツーにはワンストライ」となってクは省略されるかと冗談めかして書かれている。実際やってみるとうまくいく。だが、もしもワンストライなら国際化をうたった意味がない。この度の改革にNHKの中継陣は昔ながらの方法をとるという。球場のスコアボードもそのままプロ野球も変えないらしい。とすると学生野球の内、高校野球のみが変えるのだろうか。サッカーならこういう場合全部が統一できる。つまりプロから少年サッカーまで一つのJリーグという協会で統一されているからだ。野球界はプロ野球とアマチュア野球が完全に分かれている。プロ、アマお互いが敵対とはいわないまでも交流はない。サッカーの組織に比べ伝統があるだけに組織改革が遅れているのではないだろうか。この告げ方ひとつでも統一しないとやがて野球そのものの人気が落ちてくるような気がしてならない。ともあれ、我が旧友の坂東徹野球部長ひきいる徳島商業、大いにがんばって欲しい。


何でもありのチベット行

 

ラサから三五〇〓離れた中部チベットのシガツエ、ギャンツエとバス旅行の順となった。当初は五千Mのカロ峠を通過してギャンツエと進む予定。湖畔の道、氷河と期待していたが山崩れのため不可能となった。代わって軍用道路(今では幹線国道)を進む。出発から約一時間、前にあったヤルツンポ河に架かる曲水橋を通過したところでバスの調子がおかしい。我々が断固車を代車要求し、来るまでの間、曲水の町で休息、早い昼食を取る。観光旅行では停車するはずがない小さな町で二時間ほど滞在、夜ならカラオケがあるが、食堂一軒しかない。雄大な景色を見ながら食事の後、食堂のテラスでチャイ(インド風のミルクティ)を飲む。おかわり自由、一角なり。だんだん仲間が増えてどんどん注文すると需要と供給の関係で三角になった。たいした金額ではないが、日本人はいい気がしない。代わりのバスが来て出発。ヤルツンポ河に沿って遡る。谷間の道路といっても、仲間は向こう岸までゴルフ球を打てないよって百M以上はあるだろうと。濁流がものすごい勢いで流れている。所々道路が崩壊してバスを降り歩かされる。谷間から見える山々がすばらしい、小松島から当山を見る仰角でも谷間が富士山より高いから五千M程度となる。雪山も見られる。長い旅程には開けた部分、台地等々大自然の原風景(無人の吉野川を想像して欲しい)が見られる。その中にあって緑のあるところには寺院があり、集落がある。それらは雄大な中にあっては米粒のようである。河口慧海師が苦労して渡ったという涸沼群、広大な高山植物のお花畑、耕地には菜種の花が真っ盛り、チベット人の油はバターのはず、換金作物なのだろうか。見渡す限りの黄色い絨毯はみごとだ。ツエタンを横目通過したところから未舗装。やっと夕刻六時頃シャル寺に近づく、寺は扇状地の扇頂部分、道路、町は美馬町の旧道ような扇端部分にたんざく状にある。侵入しようとしたら、道路が崩壊しているという。添乗員の胡さんと大嶋さんが急遽そこで工事をしていたトラックをチャーターして扇央の瓦礫地帯を進んだ。寺は中世にプトン大徳が居住した寺。大徳は多くのサンスクリット本からチベット訳をし、チベット仏教の教理を体系づけた。寺からは多くのサンスクリット経典が出たという。夕日のチベット高原を見ながらギャンツエへ、午後八時やっと着いた。


余録

登小平氏が遺言で火葬の後、散骨した。散骨賛美論が再燃しはじめた。だが待てよ。政治家は後々政治理念が批判され、墓を掘り起こされる危険がある。登氏は先にさっさとまき散らしたとの見方がある。納得がいく話だ。